最後まで歌手をつらぬいた、西城秀樹!!奥様とのなれそめや、お子様たちへの愛情をまとめてみました!

未分類

ブルースカイブルー 西城秀樹

病気を乗り越え、最後まで歌手現役をつらぬいた西城秀樹

西城秀樹さんと言えば、脳梗塞を患ってをられたにもかかわらず、懸命なリハビリとご家族への強い愛情で、亡くなる1か月前までステージに立っておられたようです。


生涯現役にこだわった男は亡くなる1か月前までステージに立ち続けた
「数年前、ライブを観覧した時、秀樹さんは満足に歩けない状態でした。

それでも、ステージ上に作られたスロープを使って、少しでもファンの近くに行こうとする懸命な姿に感銘を受けました。

ファンもそんな秀樹さんに惜しみない拍手を送り、ペンライトを振って盛り上がる。

ものすごく心温まるステージでした。

その日のライブには『ヒデキ、感激!』のフレーズで一世を風靡したCM『ハウス バーモントカレー』のハウス食品からも花が届いていました。

ライブのMCで、秀樹さんが『(カレーの)甘口はあんまり好きじゃないんだよね。

ジャワカレーとかボンカレーのほうが好き』と言うと、会場は爆笑に包まれていました。

秀樹さんなりのリップサービスだったんでしょうね」

亡くなっても、西城さんの残した功績や楽曲は永久に残る。

ファンがこれからも歌い継ぐことが最も良い供養になるはずだ。

女性自身

西城秀樹さんの、気配りとやさしさのあふれる人柄をトーク番組などを通して、強く感じていました。

かっこよくて、渋くて、ユーモアもたっぷりなんて、すばらしいですね!!

苦しさを乗り越えて、最後まで歌手としての姿勢を、貫かれた秀樹さん!

それを支えた、奥様やお子様たちについて、調べてみました。

西城秀樹さんを偲んで・・奥さんとのなれそめや、お子様たちへの深い愛について・・・

奥様との出会いは、互いに知らされてないお見合いだった・・・!?秀樹の姉の経営するステーキハウスへと、何も聞かされず突然連れて行かれた美紀さん・・初めての対面・・!!


◆明かされなかった最初の脳梗塞

 秀樹と美紀さんが出会ったのは、美紀さんが、大阪のコンサルタント会社に就職して5年目のことだった。

下水道の設計を担当し、作業服やヘルメットでマンホールの中に入ることにも慣れてきたその年の秋、突然、父親に大阪にあるステーキハウスに連れて行かれた。

 

そこで出会ったのが、当時、ドラマの撮影でたびたび大阪に足を運んでいた秀樹だった。

美紀さんの父親は、そのステーキハウスを経営する秀樹の姉と親しかったこともあり、秀樹と美紀さんの知らないうちに“お見合い”が設定されていたのだ。

45才のスターと28才のOLは、初対面ながら、年齢や生活環境の違いを感じさせないほど打ち解けた。

初めてふたりきりで食事をする日

秀樹は美紀さんを家まで送るため、車を準備していた。ところが「送っていくよ」という申し出を美紀さんは断り、乗ってきた自転車で、颯爽と帰って行ってしまうのだ。

その後もデートを重ね、出会いから約3か月後の2000年のクリスマスイブ、秀樹は美紀さんにこう告げた。

「きみと一緒に住みたい」

さらに続ける。

「西城秀樹の妻じゃない。(本名の)木本龍雄の妻になってほしいんだ」

ふたりは2001年5月7日に入籍し、6月30日に伊豆下田(静岡県)の白浜神社で結婚式を挙げた。

新婚生活の真っただ中の2001年秋、小さな異変が起こる。

《仕事を終えて帰ってきた秀樹さんが、「なんか、ふらつくんだよね」と不調を訴えました。「しゃべりづらいような気もする」》(美紀さんの著書『蒼い空へ』より。以下《》内、同)

 病院へ行き検査を受けると緊急入院を余儀なくされた。

病名は、脳梗塞。思わぬ宣告に驚愕したが、このときは1週間ほどの入院で事なきを得た。

病名は対外的には「二次性多血症」と発表。“再発はない”そう思っていたからこその判断だった。

さらにこの頃、美紀さんは長女を身ごもっていた。その年、秀樹は47才でパパになった。

しかし、再発は起きた。2度目の脳梗塞が秀樹を襲ったのは2003年6月。

韓国・済州島に滞在中のことだった。

秀樹の症状は一度目のときとは比べものにならないほど重く、隠し通すことはできなかった。

10日間の入院を終えて自宅に戻ると、秀樹はリハビリと同時に、8月半ばから1か月半続く公演のリハーサルを開始した。

美紀さんと秀樹の二人三脚の闘病はここから始まった。

新婚間もない上に、乳幼児2人を抱えて。美紀さんは明るく振る舞い、秀樹の食事のメニューを改善しながら、子供用の食事も作る。

まるで3人の母になったような奮闘ぶりだった。

2005年1月、第3子が誕生する。この頃の様子は著書にこうある。

将来に対する不安よりも、秀樹さんと同じ、姉、兄、弟の3きょうだいになったことへの喜びへ目を向けていました。

そこに希望を見出すことで、現実に立ち向かおうと自分を奮い立たせていたというか、そうでも思わないと押しつぶされてしまいそうでした》

(文中、敬称略)





女性セブン

やさしさと、愛に包まれた日常での、突然のけいれん発作・・

 2018年4月25日。西城秀樹(享年63)は、いつも通りに約3時間に及ぶリハビリを終えて帰宅し、妻の美紀さん(46才)と母、中学2年生の次男・悠天くんとともに夕食を楽しんでいた。

その日はたまたま、高校1年生の長女・莉子さんと中学3年生の長男・慎之介くんは部活動で帰宅していなかったが、自宅2階にあるダイニングで、家族そろっての夕食を囲んだ。

テーブルに並んだのは、スペアリブ、ポトフ、サラダ、そして秀樹の好物である白いご飯。いつもどおり、肘掛けのある白い椅子に腰を下ろした秀樹は、これらをきれいに平らげる。

直後のことだった。

夜7時頃、秀樹の体は椅子の上で反り返ったまま、動かなくなってしまった。

異変に気づいた美紀さんが呼びかけるが、全身が痙攣を起こし、椅子から転げ落ちそうになっている。

「パパ! どうしたの?」

美紀さんは秀樹を椅子から下ろして体を揺すりながら、次男に「救急車を呼んで!」と叫んだ。

大学病院の救急救命室(ER)に運び込まれ、処置が始まる。

長女、長男、そして事務所のスタッフも駆けつけ、全員が無事を祈り続ける

懸命の治療、そして家族の思いによって止まっていた心臓は再び動き始めたが、医師の口から発せられた言葉は、あまりに残酷なものだった。

「残念ですが、意識が戻る可能性はありません」

約40分間の心臓停止により、脳に充分な酸素が行き渡らなかったことから、脳死の可能性が高いという説明もあった。「もって1週間」とも。

それでも、秀樹は生き続けた。

意識は戻らず、話もできない状態でも、倒れた日から3週間、これまでと同じように「また言葉を交わせるのではないか」「ステージに立てるのではないか」という淡い希望を、見守る家族に抱かせた。

しかし、ついにそのときが訪れる。5月16日、深夜。家族が見守るなか、医師の言葉が病室に響いた。

「5月16日23時53分、ご臨終です」
63才。余りにも早すぎる旅立ちだった。

女性自身

子供たちへの父親としての愛情の深さ


西城秀樹さん 3人の子を「普通の子として育てる」主義貫いた
2018.05.25 16:00

【子供たちを甘やかさず育てたという西城さん】

歌手の西城秀樹さんが5月16日、急性心不全で亡くなった。

63才だった。4月25日夜、西城さんは愛する家族との団らん中に意識を失った

病院に運ばれたものの、5月16日夜に容体が急変、家族が見守る中、この世を去った。

2001年に18才年下の女性と結婚した西城さんは、3人の子供に恵まれた。

美男美女で、西城さんの子供だとは知らずに、スカウトされたこともあるという3人の子供たち。

長女(15才)の夢はダンサー、長男(14才)は西城さんのバックバンドでドラムを演奏した経験があるほか、次男(13才)は芸能界に興味を持っているという。

◆普通の子供として育てていきたい

自身と同じ華やかな世界への夢を抱く子供たちの姿を見てきた西城さんだったが、子供たちとの接し方は、あくまで普通の父親だったという。

叱るときは叱る、褒めるときは褒めるというメリハリのあるパパでした。

ただ、細かいことをいろいろと言うタイプではなく、基本的には黙って見守っていくスタンスでした」(西城さんの知人)

スターのもとに生まれた子供たちは何不自由なく育てることもできたはずだが、甘やかすことはなかった

「西城さんは10代でデビューしたので、普通の10代、20代を過ごした人とは感覚が違うという自覚があったのでしょう。

奥さんの常識的感覚に頼りながら、普通の父親として、子供が欲しがる物をなんでも買い与えるようなことはしませんでした。

熱心な教育パパで学校の説明会なども自ら足を運んでいました。子供たちのことは“スターの子”ではなく、普通の子として育てるという教えがあったそうです。

なにより子供たちに望んでいたのは、“健康で元気に育つこと。それだけだ”とよく口にしていました」(音楽業界関係者)

15年にも及ぶリハビリに西城さんが耐えられたのは、そんな子供たちへの思いがあったからだという。

「晩年は妻と子供への心配ばかりが募っていたそうです。

特に経済面のことを気にしていて、“どんな形でもいいから、もっと仕事がしたい”と言っていました。

子供たちに望む道を歩ませたかったのでしょう。

だからか、“自分が仕事をがんばらないと。まだまだ死ねないよ”と話していました」(芸能関係者)

父の教えと思いを背負い、子供たちはこれからも夢へ向かい歩んでいく。

女性セブン

日本の代表的シンガーであられた、お父様西城秀樹さんは、お子様たちにとっては、優しくて、また、厳しくもある素敵なお父様でもあられたようですね!!

どこまでもカッコイイ西城秀樹さんの歌も生きざまも、決して忘れられることなく、永遠に皆の心に灯をともし続けることでしょう!!

ここまで、読んでくださって本当にありがとうございました(⋈◍>◡<◍)。✧♡

コメント

タイトルとURLをコピーしました